ルッキズムに囚われた思春期

考えてること

こんばんは。

今日は急な雨があり、雨がっぱを着ました。

ちょうど雨宿りできるところに着いた瞬間、どうして雨って止むのでしょうか…笑

聞くと母親も同じように数分の雨でびしょ濡れになったとのことでした。

雨に濡れたのは気分が悪かったのですが、ちょうど母も同じ気持ちだったと思うと
なんだか嬉しかったです。

さて、今日は私が人生で一番辛かった時のことを話そうと思います。

小学生高学年から高校生2年生まで、私は外見のある悩みを抱えていました。

医学的には病名がついているようなものであり、手術適応な程度。

同じような外見の芸能人が何人かおり、陰であだ名として使われていたことと思います。

ことと思います、というか、実際に聞こえる程度の小声で話しているのを耳にしたことが何度か。

私はずっと、見た目にコンプレックスがあったので、人の外見を笑ってネタにすることは決してありません。

頑張って改善できるものなら、まだ笑われるのもわかるのですが、生まれ持ったものはどうにもならない。

前の記事にもしましたが、父親はデリカシーがなく、外見をよくからかわれました。

コンプレックスがあるだろうなと予測されるような見た目の人でも(大変失礼ですがここでは書かせてください)、家族から愛され、全て認められて育った人は自信を持っていると思います。

いわゆる世間から可愛いと言われるような見た目ではないのに、「私可愛いから」と自信満々な人が身近にいると、恨めしく思っていました。

自分が一番ルッキズムに囚われていたんだなと今はわかります。

でもそんなクラスメイトが嫌いでした。いや、今でも好きにはなれません。

親に愛され、褒められ、家庭は裕福で、やりたいことは全てやらせてもらえる。

ただの嫉妬です。

手術をうけて、コンプレックスがなくなった今でも、やはり人の目は怖いです。

付き合っている男性には必ず見た目を褒められたい。

結局、幼い頃からの呪縛から逃れられずにいます。

年齢を重ねていき、若くてきれいだねとチヤホヤされることもなくなりますから、内面の厚みを持たせて、人としての魅力をもっと磨かなければなと思っています。

今、外見に悩んでいる方にお伝えしたい。

外見の悩みを解決しても内面が変わらなければ、また新たなコンプレックスを探してしまい、一生抜けられません。

今も抜けられていない私が言うのもなんですが、一緒に乗り越えていきましょうね。

私が受けた手術の内容については、当時の写真を見つけ次第、また記事にしますね。

今日もありがとうございました。

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